第15章 ヨハネス・ブラームス (Johanness Brahm)
(1833年~1897年 63歳没)
ブラームスはドイツのハンブルグに生まれ、幼いころからピアノを習熟し、家計を助けるピアニストとして酒場や編曲に馴染んでいた.父親は劇場管弦楽団の弦楽器奏者だった.姉と弟の三人姉弟の真ん中だった.17歳の時、優れたバイオリニストのE.レメーニ(Eduard Remenyi)と知り合い、二人での最初の演奏旅行でレメーニの友人の大バイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim)を知って親交を深めた.ヨアヒムはその後もブラームスの創作の良き助言者として、終生変わらぬ友情を示してくれる.二人は更にワイマール(Weimar)を訪れ当時隆盛を極めたリストを知るが、リストとブラームスの音楽は異質で、リスト、ワーグナーの新音楽とブラームスの目指す新古典派とは生涯相いれない対立の関係になった.
ヨアヒムの紹介で、デュッセルドルフに住むシューマン夫妻を尋ねたブラームスに、彼の非凡な才能をシューマンが感じ取り、各種の出版物などにブラームスを紹介する.こうして成功の道筋に乗ったブラームスだが、師と仰ぐシューマンの悲劇的な死に直面し、悲嘆にくれるその妻クララ(Clara Schumann)と子供たちと、終生に渉る親交を続けた.ウイーン・ジングアカデミー(Wiener Singakademie)、ウイーン楽友協会(Wiener Musikverein)の指揮者を務めた後、1878年からウイーンに定住.史上初の大指揮者ハンス・フォン・ビューロー(Hans von Bülow)が残した言葉 ≪ドイツ3大B(バッハ、ベートーベン、ブラームス)≫ の一角を占める19世紀ドイツ音楽の最高の作曲家.
リスト・ワグナーの新音楽とは一線を画し、歌劇、標題音楽は手掛けなかったが、ブラームスは交響曲、管弦楽曲を始め (私としては意外にも) 驚くほど多数の合唱曲を創作した.
「私の個人的経験として、会社勤めを始めた2年後の独身時代の1963年から1年間(海外研修生)と、その後に家族同伴で1973年~1977年の4年間(支店営業及び情報収集スタッフ)はドイツ(当時は西ドイツ)のハンブルグ支店に居を置いてきました.当時はブラームスがハンブルグ生まれだったことは、日本人の少々クラシック音楽に興味ある人なら誰でも知っていたように思いますが、同様にメンデルスゾーンもハンブルグ生まれだったことも知られてはいたものの、生まれ育った住居等は、ほとんど知られていなかったし分らないほど、未だ未だ、第2次世界大戦の傷跡が大きく街に残っている雰囲気で、観光目的でのブラームスの生家を尋ねて的な遺構はなかったのが事実でした.」
この度、再び視聴した演奏から、ブラームス音楽の印象を短く綴ってみたものを以下の通り示した.
交響曲第1番:指揮者カール・ベーム(80歳)がウイーンフィルを引き連れての東京での歴史的演奏会(1975年)は何度聴いても感動する.ブラームスのどの交響曲も、混濁から徐々に美しい主旋律が現れる過程が極めて自然に上手く表現されている点が聴く者の心に響く.特に、交響曲第1番で、そのことが顕著に感じられる.もう一つの演奏で反田恭平指揮の奈良県東大寺大仏殿前庭での雨中の演奏は、本来はピアニストの反田の音楽への思いが、この悪条件の元でも直、ひしひしと感じられる演奏だった.
交響曲第3番:ブラームスが長年かかって交響曲第1番を完成したのは、彼が43歳の時と比較的に多くの人生経験を積んだ時期だった.その後の交響曲第3番及び第4番は、ベートーベン亡き後のドイツ・ロマン派を代表的する名曲になったと思う.第3交響曲の第3楽章は重くメランコリックな、第4楽章は力感に溢れる聴きなれた美しい旋律だが、演奏機会が他の交響曲に比して少ないのは、終楽章の終わり方が静かなためと言う指揮者もいる.
交響曲第4番:第1楽章冒頭のバイオリンが奏でる第1主題が聴く者の心を捉える.第3交響曲作曲から間もない作品なのに、ひときわ物寂しい悲しさに貫かれた、聴く者に作曲者の心情を自由に想像させる名曲だと思う.
ピアノ協奏曲第1番:大曲ではあるが、ピアノ協奏曲としては未完成で、オーケストラが主体の交響曲に付随したピアノ曲とも言われる所以を確かに感じる.第4楽章にピアノ協奏曲として流麗な美しい馴染みの旋律が現れる.A. Rubinsteinのピアノ演奏(BBC Symphony)を聴くと、他の演奏者の時より、この曲が稀代の名曲に聴こえてくるのは不思議な感覚.
ピアノ協奏曲第2番:ピアノを伴う交響曲と言われるが、第1番から20年を経過しての作曲.イタリア旅行に触発されて作曲したとのことだが、濃厚なドイツ色で、壮大なピアノに加え、演奏では管弦楽が重要なポジションにあると感じる名曲.
ピアノ五重奏曲:重厚感と雄大さを持つピアノが弦楽四重奏との競演で展開する叙情性と情熱に溢れたブラームス31歳の時の傑作である.
バイオリン協奏曲:ブラームス45歳の年(1878年)に作曲した名曲で、田園的なリリシズムが曲想ににじみ出ているのは、オーストリアの田園で作曲し始めたためか.独奏パートは友人のヨアヒムの助言を仰いだと言われている(注).
(注)ブラームスのバイオリン協奏曲の初演バイオリニストとして、後世に名を残したヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim 1831年~1907年)の活躍も忘れてはならない.
バイオリン・ソナタ:第1番「雨の歌」は、彼が最も旺盛な創作を展開していた46歳の時期の作品で、イタリア旅行から得た南ヨーロッパ的な解放感や情熱と、ブラームス特有の北ヨーロッパ的な叙情が混ざり合った傑作.第2番、第3番も綺麗な優しい旋律が続く.シェリング(Friedrich Schelling)(Vn) / ルビンシュタイン( A. Rubinstein)(Pf)の演奏はひと際、情感あふれる演奏だ.
ドイツ・レクイエム(全7曲):マルチン・ルターのドイツ語訳「聖書」を元に、一般的なミサ曲とは一線を画し、死者ではなく生き残った者の悲しみに目を向けられている.作曲のきっかけはシューマン追悼の意味があったとされている.4曲目は美しい旋律、5曲目は高音のソプラノ・ソロをフォローする合唱.6曲目はバリトン・ソロをフォローする合唱で、伝統的なレクイエムの “怒りの日” に相当する曲で、迫力ある曲想で盛り上がる.今回聞いた演奏では特に、東京での ≪ブロムシュテット指揮(Herbert Blomstedt)/ ゲヴァントハウス管弦楽団(Gewandhausorchester Leipzig)/ ウイーン楽友協会( Wiener Musikverein)≫ が、素晴らしいの一語に尽きるものだった.
クラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115:自らの創作力が枯渇したと感じ、作曲の筆を折ろうと決心した頃、ミュールフェルト (Richard Mühlfeld) という優れたクラリネット奏者と出会い、再び創作欲を刺激され1891年に完成した、彼の作品の中で最も諦観とリリシズムが漂う作品で、クラリネット五重奏曲としてはモーツアルトのそれと並び称される傑作.
弦楽六重奏曲第1番 作品18:彼が27歳の時(1860年)の作品で.低音の厚みのあるオーケストラ的な響きの中で、ブラームス特有の憧れに満ちたリリシズムがいっぱいに広がり、のどかな感傷的な甘さが漂う旋律は、時に映画音楽にも使われる.
今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記の表にした.
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