第3章 フェリックス・メンデルスゾーン(-バルトルディ)
Felix Mendelssohn-Bartholdy
(1809年~1847年、38歳没)
メンデルスゾーンがドイツ・ハンブルグで生まれたと書物には書かれているが、彼の生家がどこだったのかは、通算5年間ハンブルグに住んでいた小生には分かっていない.
同じように、ハンブルグに生を受けたブラームスの場合は、生家と博物館らしき物が現存するのに比べ、裕福な家系で恵まれた環境で教育を受けて育ち、神童と呼ばれるほど幼くして音楽の才能に溢れていたのに、その生家が少なくとも一般には公開されていないのは何故なのかと小生は未だに不思議な気がしてならない.ユダヤ系の祖父は哲学者でモーゼス、父は銀行家でアブラハムという名前だけでも凄いと思うが、幼くして一家はベルリンに移った.ライプチッヒ音楽院の設立により19世紀の音楽界へ大きな影響を与えたこと並びに当時は忘れかけられていたバッハ音楽に傾倒し、その復興に大きな役割を果たしたことは数々の名曲の作曲以外の彼の大きな功績である.ドイツを離れた時期にはイギリスには度々、イタリアにも出かけていて、その印象を交響曲第3番「スコットランド」、第4番「イタリア」として作曲している.
メンデルスゾーン作曲と言えば、真っ先に思い起こすのが甘美なメロディーの「バイオリン協奏曲」※③であり、交響曲第3番「スコットランド」※①、第4番「イタリア」※②だと思う.他にも管弦楽曲「真夏の夜の夢」、序曲「フィンガルの洞窟」※④なども良く聞くが、他の著名な同時期の作曲家に比べて、普段に演奏される作品数は意外と少ないことに改めて気づいたが、私の感覚は実際に正しいかは確かめていない.
ところで、メンデルスゾ-ンの有名な「結婚行進曲」は「真夏の夜の夢」の第8曲目の一曲だが、同じように日本では有名なワグナーの「結婚行進曲」は楽劇「ローエングリーン」の第3幕の一曲である.ヨーロッパでは「ローエングリーン」が、あまりにも悲劇的ストーリーなことで、ワグナーの「結婚行進曲」は結婚式には向かないと思う人が多いことは時に知っておく必要がある.
今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品のリストをご参考まで下記、表にした.
※①交響曲第3番イ短調(作品56)「スコットランド」:1829年にイギリスに演奏会で出かけた時に作曲を始め、完成したのは13年後の1842年で、全4楽章は切れ目なく演奏される.
※②交響曲第4番イ長調(作品90)「イタリア」:1831年のイタリア旅行中の印象を作曲したもので、豊かな旋律、軽快なリズム、終楽章のローマの舞曲(サルタレロ)で、イタリアの印象が強く出ている馴染みやすい曲.
※③バイオリン協奏曲ホ短調(作品64):メランコリックで甘美なソロ旋律で始まるメンデルスゾーンを代表する名曲.着想から完成まで6年間も費やしていて、ライプチッヒのゲヴァントハウス管弦楽団のコンサート・マスター、F. ダヴィッドに献呈された.
※④序曲「フィンガルの洞窟」作品26:ロンドンへ演奏旅行中にスコットランドの島の奇勝の大洞窟を見学した印象を描いたとされる一流の風景画家を思わせる曲.
2021年11月7日記
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