第5章 フェレンツ・リスト
Ferencz(Franz)List
(1811年~1886年 74 歳没)
リストは当時のオーストリア帝国領内のハンガリー王国の寒村ライディング(Raiding)で生まれた.父親はハンガリー貴族エステルハージ侯(Marquis Esterházy)の執事、母はドイツ人だった.両親が音楽に造詣が深かったことから自然にピアニスト及び作曲家としての道を進んだ.本人は生涯を通じてハンガリー人としての気概は高かったがハンガリー語は話せなかった.パリのサロン生活でフランス語に精通し、ショパン、ベルリオーズなどと知り合い、美貌の伯爵夫人マリー・ダグー(Comtesse Marie d'Agoult)と知り合い結婚し、娘コジマ(Cosima)~ 成人して、指揮者ハンス・フォン・ビューロー(Hans von Bülow )夫人、その後にワーグナー夫人となる ~ をもうける.後にドイツのワイマールに定住して、ドイツ語にも堪能でワイマールを嘗てのゲーテ、シラーの全盛期を偲ばせる隆盛に持って行った.晩年のリストは、その精力のほとんどをワーグナーの大きな理想であった「総合芸術」に向けて費やした.ロマン派音楽をワーグナーと共に派手に行動的に表現し、宗教音楽への精進を決意し聖職に入った晩年であった.
作曲では交響詩というジャンルを確立したが、改めてリストの作品を聴き直すと超技巧ピアノ曲が数多く、演奏家にとっては演奏が至難の技であろうと改めて思った.兎に角、的確な表現ではないかも知れないが、後のワーグナーに近い作風であり、難解な作曲家ではある.
以前、あるピアノ講師から聞いた話ではリストの作品を演奏するには、手の指を強化する必要性は許より、手の指が大きいか、差ほど大きくなくても指が十二分に開かないととても演奏できないそうだ.
「パガニーニ大練習曲(全6曲)」の第3番 ≪La Campanella≫ は特に有名で、他にも「愛の夢」や「ハンガリー狂詩曲(全19曲)」の第2番や「ピアノ協奏曲第1番」が耳馴染みのあるメロディーである.しかしリストの作品は「超技巧練習曲」と銘打った曲を始め、それ以外でも本当に息つく暇もないようなリズム、テンポ、メロディーの曲が多くポリーニ (Pollini)、ポレット (Polet)、キーシン (Kissin)などの名手で聴くことが出来る今日の時代に聴くとこができ良かったとつくづく思う.
1曲だけの「ピアノソナタ ロ短調」は40歳代の作曲で、シューマンがリストに贈った「ハ長調幻想曲」に対する返礼として、リストがシューマンに献呈された作品であるが、演奏時間30分が単一楽章で構成されている.初演は音楽教師としてのリストの高弟(門下生)であるハンス・フォン・ビューローにて行われ賛否両論あったが、今日ではピアノソナタの傑作の一つと評価されている.ピアノソナタと言っても“ドラマティックな展開の華麗な曲想“でピアノによる幻想曲か交響詩と言っても良い.
リストは交響詩という音楽構成の生みの親であるが、交響詩「前奏曲」と交響詩「マゼッパ」を改めて聴き直した.リストの一つのパターンである暗黒から光明~闘争~憩い~勝利といったプロセスで曲は構成されていて、大方は激しく時に静かに演奏されて行く.
「スペイン狂詩曲」には、この旋律の中にアメリカ映画のアラモの砦のメキシコ軍との攻防を描いた話題作「アラモ」(監督・主演ジョン・ウエイン)のテーマ曲と非常に似た旋律が出てくることを、私は10数年前にピアニストの演奏会で気づいている.
今回の雑感記録に際して、改めて聴き直した作曲家の作品リストをご参考までに下記、表にした.
Comments